米原市は「水源の里」と「災害時における相互応援協定」で福島県相馬市とつながりがあり、職員も派遣しています。たまたま今回、福島に行く所用もあったので市役所を訪れ、震災後の現状や防災対策、仮設住宅の方との意見交換、そして街全体の復興状況を見てまいりました。あまりにも写真が多いので順に説明します。
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こうして「復興支援道路」として”建設ラッシュ”なところに遭遇します。
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相馬駅です。
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見渡す限り、海岸線は津波の爪痕が残ったままで、家屋も中身がなくて柱だけとか、松並木が残っていたり。海水浴場だったのですが、今は砂浜も除染が済んでいないので使用は出来ない状態です。工事関係者の話ですとまずは、防波堤が最優先であり、ダンプカーもひっきりなしに往来があります。
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これは最近、相馬市が海岸線の二か所に建てた慰霊碑です。中には、亡くなった方の名前のほかに区長さんや消防という役が刻まれていたりします。次から次に手を合わせに来る人が絶えません。花を挿して、手を合わせたままその場を動かずに泣いている人もいました。この自転車の男性も近くに住んでいた方で、家族を亡くされています。私もその場に立っていることが出来ないほど足が震え、泣けてしまいました。それほど何か大きな悲しみの波が襲ってきました。
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相馬市役所では橘川企画政策部長に震災後の対応と復興状況、これからの問題などを本当に長時間にわたって教えていただきました。アポは取っておきましたが、熱い話であっという間に時間は経ちます。防災についても、今迄の概念は打ち消されてしまいました。仮設住宅も紹介していただき中心となっているサポートセンターの方にお話しも聞けました。橘川部長曰く、被災状況を見るのではなく、復興状況をよく見てほしいと。訴えたかったのは、自治体も一生懸命だが、やはり国がもっとリードしなければ全然進まないということ。だんだんトーンダウンしてきている、そして人々はお金や物資も大事だが、精神的にサポートも必要になってきているということです。一極集中!東京はオリンピックムードで華やかですが、福島を忘れてへんか?と言いたいと思います。忘れちゃいけないことがあります。相馬市に二度目の派遣となる職員の室谷さんにもお会いして激励してきました。彼は建設部都市整備課に所属しており、すっかり慣れた雰囲気で仕事をこなされていました。
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私のクルマのナビも結構最新のナビなんですが、いちばん気づくのが、ナビにあるべき道がないことや、ない道があったりで結構迷いました。とにかくできるだけ海岸線を走って相馬市からいわき市に行こうと思ったんですが、そこは原発の両側なので案の定すんなり進めず最短迂回路を通り、本当なら20~30Kmの距離が120Kmくらいの遠回りとなります。通行禁止区域が目の前にあり、許可証なしでは通行出来ません。
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この海岸の破壊されたままの状態。丘の中腹の建物もあの高さでも津波の影響を受けています。あらためてすさまじさを感じます。今回単独で公式な視察でもないですが、逆にこれで行って良かったと思ってます。一人では何も出来ないですが、防災の意義や現状を知らないまま、中身も知らないまま原発の論議をしたくはないです。13日の委員会が16時に終わってからすぐに北陸道~磐越道~東北道経由で800Km。翌朝に着いて、一日相馬市を見て、役所の方や仮設住宅の方と長く意見交換をしました。それからが大変で市内のビジネスホテル全部当たっても全然空室がなく困りました。どのホテルも建設業者の方が年単位で住み込んでいるのです。それだけたくさんの人が復興にかかわってはいるのですが、地元の方曰く、「東京に職人さんが吸い寄せられてしまっている」ということです。なんとかあるホテルが、ツインですがシングル料金でオマケしてもらい、この日はふとんで寝られました。前日の夜中は新潟のPAでクルマのなかで仮眠をとったので助かりました。自費で行ったので出来るだけお金も節約したかったのです。帰りは東京の湾岸線を通って帰って来たのですが、福島とのギャップがあまりにも大きすぎてつらいものでした。オリンピックで喜んでいていいのでしょうか?