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出発直前に、京都新聞の取材を受けて10:00に柏原をあとにしました。移動には新聞記事に載っている軽自動車で大きい男三人が乗車しておよそ1100kmの旅に出たのです。なぜ、軽自動車なのか?実はこの車の持ち主は目的地のお寺の住職の母で、クルマを乗り換えたので息子に譲渡するということだったので、んじゃついでに青森県弘前へはこの車を回送していくことにしたのです。まあ、今回はこういう手段で返りは飛行機にしましたが、一流オペラ歌手とピアニストにはかなりキツかったと思います。これからの復興コンサートには移動だけはちゃんとした形で行きたいと思っています。しかしながら当の花月君は全然このクルマの移動が楽しかったみたいです。私もさすがに軽自動車はいい経験でした。まっ、もとは昔はプロドライバーだったし、北海道から大型バイクで1500km走って帰ってきたことも数回ありました。青森、岩手、秋田、福島あたりも野宿でツーリングしたことを思い出しました。肝心なコンサートは思いもよらず大盛況でお堂の中は見る見るうちに満杯で最後は立ち見もあり、花月、日比野、住職(三明智顕・みはるちけん)私はびっくりしました。ほんの半月前に企画してリーフレットも弘前市内にばら撒きましたが、実のところ集客には自信はなかったです。ところが青森、弘前は昔からオペラが盛んで、弘前オペラ倶楽部の方もたくさん来ておられ、事務局の方ともお話しましたが、非常に感動していただきうれしかったです。また、終了後には「次はどこそこのお寺でもお願いします」とオファーもあり、これから先弘前を皮切りに岩手・福島も南下する予定です。今、福島の二本松のお寺を計画しています。コンサート中は花月君が私にも時間を当ててくれて、このコンサートを始めた趣旨や、お念仏・仏教讃歌・オペラのすばらしさを説明しました。「私たち3人が膝を突き合わせて話をした結果、寄付金や食品・物品なども大切ですが、これからの震災の復興ではやはり精神的なサポート(心)をしなければ本当の復興ではないのでは?ということで”歌”がその結論でした。彼(花月)の歌があるやんか!それがきっかけです」その時点で皆さんのなかには泣いている方も見えてこちらも泣けそうでした。もちろん歌にはみなさん完全に瞳を閉じて入り込んでおられました。お堂の中は一体化し、取材にきていた陸奥新報社の記者もビックリしていました。弘前市ではいつも「岩木山」が見えていて、シンボルとなっています。ちょうど伊吹山と似た感じで、まだまだ雪はあたりのリンゴ畑を覆っていました。空気も良くて、お蕎麦がおいしく、いい街でした。桜はまだまだのようです。弘前市の皆様、今回お世話になったご住職、サポートしてくれた住職の友人、本当にありがとうございました。人間は一生のうちで感動することはそんなにはないですが、今回は本当に感動しました。